2008年12月14日
宇津城&栃の木フォーラム開催しました!
本日、京北の宇津コミュニティ会館にて、宇津城&栃の木フォーラムを
開催しました。午前と午後の部の長丁場ながら、参加者は40名ほど
だったでしょうか、盛況に終わりました。
午前9時半から午前の部が開始。
午前の部は、宇津城を視察するグループと植林のグループに分かれての
活動です。私はまだ宇津城址を見たことがないので、前者のグループに
入れてもらいました。今日の午後に講演される高橋氏の導きで、宇津の
八幡様の裏手の山に入って行きました。急な山の斜面に作られた「けもの
道」のような道を登っていくこと30分ほどでしょうか、宇津城の「堀切」の
跡が見えてきました。つづいて、石積み、井戸(と言われているもの)など
など城跡、そして、樹齢100年以上ともいわれる樹木なども見学しました。
豊富な知識と経験とそれにもとづく推察をふまえての高橋氏の素晴らしい
ガイドのおかげで、中世の城あとから、当時の地域的な政治経済体制の
ありよう、そして、宇津の農民の人々のまでもが生き生きとイメージされて
きます。(その素晴らしいガイドぶりを手持ちの携帯で録画させていただいた
のですが、このブログでは、動画の投稿ができないのが残念です。)
植林のグループは、今回も100本もの栃の木の植林でした。いずれまた
その模様についてはご報告したいと思います。
さて、12時前に各グループはコミュニティ会館に戻ってきて、わいわい
がやがやと賑やかに皆で昼食です。私たちスタッフは昼食後、すみやかに
会場設営に取り掛かり、無事、午後1時のフォーラム開始を迎えました。
午後のフォーラムは、二部構成。第一部は宇津城フォーラム。これは、
右京区まちづくり支援制度支援事業の一環で、「右京区のふるさと
づくり~お城の調査そのⅡ~《ふるさとのお宝》」と題してのものです。
産業社会学部副学部長の景井准教授の基調講演に始まり、メインは、
郷土史家で城郭研究家の高橋氏の講演「宇津城と宇津氏」です。
古文書に見られる宇津地区(神護寺領の荘園でした)および宇津氏の
成り立ち、現在の兵庫県丹波市や篠山市をも含めた古来の丹波地域に
おける地方豪族の勢力関係、また、宇津氏と明智光秀の攻防から
みえてくる宇津城の分析やその歴史的、地政学的重要性などなど。
話題は尽きず、あっという間に時間がきてしまいました。ともあれ、
何気ない中山間地・農村とおぼしき宇津地域が豊かな歴史を持つ
地域であることが浮き彫りにされたのではないかと思います。
さて、第二部は、栃の木フォーラムです。こちらは、三井物産環境基金
および全労災地域貢献助成事業の一環で、「木は誰のために植える
のか」がテーマでした。フロンティア協会会長の徳丸國広氏の講演が
メインです。栃の木を植林するにいたる経緯、その期待される成果、
そして、そこにこめられた思いについて話をされました。
10年がかりで栃の木を1000本を植林するという計画なのですが、
そもそもなぜ栃の木なのか。徳丸さんの話では、それが実のなる
木で、その実は換金性が高いからというわけです。とはいえ、実を
つけるまでには15年から20年はかかるとのことです。
* * *
(ここからは少々私見になりますが)だとすると、今年の植林の
成果は、早くても2023年ごろということになります。それは一見
すると、何とも長い時間のように感じられると思います。でも、
本当にそうでしょうか。植林(と手入れ)に10年をかければ、
その後早ければ、そしてうまく行けば、5年で、最初に植えた
栃の木の実がなるのを見れるのです。
この植林プロジェクトは、(徳丸さんは言われませんでしたが)実は
深い、深い意味があるように思います。というのは、植林をする10年
もの長い間、その地域にかかわり、そして実がなるのを見届ける
までは、きっと植林後も続けてその地域にかかわることになるだろう
ということです。
つまり、ここに見えてくるのは、単に栃の木という換金作物栽培
による将来的な産業・経済基盤の確立への試みということだけ
でなく、長期的で持続的な人の交流による地域活性化への
明白な「意図」であり、「仕掛け」なのです。こうした仕掛けのもと、
持続的で長期的な交流を確かなものとし、地域活性化への
展望を切り開く、これこそが実はこの植林プロジェクトの核なのだ
と思います。したがって、地元の人だけではなく、NPOや大学
など外部の組織や個人が植林に加わってこそ、このプロジェクトは、
地域の活性化に大きな意味と力を持ちうるのです。
「木は誰のために植えるのか」、その問いについての答えは
ともあれ、「なぜ地元と地元以外の人が協力連携して木を
植えるのか」ということについては、以上のような明快な答えが
出てくるように思います。
* * *
さて、最後のパネルディスカッションは、景井先生、徳丸さん、
高橋さん、そして、山の持ち主で宇津の区長でもあるSさんの
4人がパネラーとなり、下宇津のお宝とは何か、宇津城と
植林を軸にしての地域活性化の課題と展望などについて
意見が交わされました。また、Sさんからは栃の木のみならず、
山百合の復活についても見通しが語られました。また、その他、
地元の林家の方や、他地域で植林活動をされている方からも
植林をめぐる現状と課題についての発言があり、有益な示唆が
得られました。
* * *
今回のフォーラムで嬉しく思ったのは、何よりも多数の方の参加が
あったことです。とりわけ、地元の方々の参加があったことは嬉しい
ことでした。そして、今年もまた、遠方にもかかわらず、向日神社の
鎮守の森を守る会の方々が参加してくださったことも嬉しいことです。
こうした積み重ねのなかでの多くの方々とのつながりを大事にして、
今後さらに活動を展開していきたいと改めて思いました。
* * *
フォーラム終了後、フロンティア協会の面々は、嵐山花灯路の方に
出向かれました。なんともパワフルな方々です。花灯路は、今週末
21日まで開催です。午後5時から8時半までの点灯です。
京都・花灯路HP http://www.hanatouro.jp/index_a.html
開催しました。午前と午後の部の長丁場ながら、参加者は40名ほど
だったでしょうか、盛況に終わりました。
午前9時半から午前の部が開始。
午前の部は、宇津城を視察するグループと植林のグループに分かれての
活動です。私はまだ宇津城址を見たことがないので、前者のグループに
入れてもらいました。今日の午後に講演される高橋氏の導きで、宇津の
八幡様の裏手の山に入って行きました。急な山の斜面に作られた「けもの
道」のような道を登っていくこと30分ほどでしょうか、宇津城の「堀切」の
跡が見えてきました。つづいて、石積み、井戸(と言われているもの)など
など城跡、そして、樹齢100年以上ともいわれる樹木なども見学しました。
豊富な知識と経験とそれにもとづく推察をふまえての高橋氏の素晴らしい
ガイドのおかげで、中世の城あとから、当時の地域的な政治経済体制の
ありよう、そして、宇津の農民の人々のまでもが生き生きとイメージされて
きます。(その素晴らしいガイドぶりを手持ちの携帯で録画させていただいた
のですが、このブログでは、動画の投稿ができないのが残念です。)
植林のグループは、今回も100本もの栃の木の植林でした。いずれまた
その模様についてはご報告したいと思います。
さて、12時前に各グループはコミュニティ会館に戻ってきて、わいわい
がやがやと賑やかに皆で昼食です。私たちスタッフは昼食後、すみやかに
会場設営に取り掛かり、無事、午後1時のフォーラム開始を迎えました。
午後のフォーラムは、二部構成。第一部は宇津城フォーラム。これは、
右京区まちづくり支援制度支援事業の一環で、「右京区のふるさと
づくり~お城の調査そのⅡ~《ふるさとのお宝》」と題してのものです。
産業社会学部副学部長の景井准教授の基調講演に始まり、メインは、
郷土史家で城郭研究家の高橋氏の講演「宇津城と宇津氏」です。
古文書に見られる宇津地区(神護寺領の荘園でした)および宇津氏の
成り立ち、現在の兵庫県丹波市や篠山市をも含めた古来の丹波地域に
おける地方豪族の勢力関係、また、宇津氏と明智光秀の攻防から
みえてくる宇津城の分析やその歴史的、地政学的重要性などなど。
話題は尽きず、あっという間に時間がきてしまいました。ともあれ、
何気ない中山間地・農村とおぼしき宇津地域が豊かな歴史を持つ
地域であることが浮き彫りにされたのではないかと思います。
さて、第二部は、栃の木フォーラムです。こちらは、三井物産環境基金
および全労災地域貢献助成事業の一環で、「木は誰のために植える
のか」がテーマでした。フロンティア協会会長の徳丸國広氏の講演が
メインです。栃の木を植林するにいたる経緯、その期待される成果、
そして、そこにこめられた思いについて話をされました。
10年がかりで栃の木を1000本を植林するという計画なのですが、
そもそもなぜ栃の木なのか。徳丸さんの話では、それが実のなる
木で、その実は換金性が高いからというわけです。とはいえ、実を
つけるまでには15年から20年はかかるとのことです。
* * *
(ここからは少々私見になりますが)だとすると、今年の植林の
成果は、早くても2023年ごろということになります。それは一見
すると、何とも長い時間のように感じられると思います。でも、
本当にそうでしょうか。植林(と手入れ)に10年をかければ、
その後早ければ、そしてうまく行けば、5年で、最初に植えた
栃の木の実がなるのを見れるのです。
この植林プロジェクトは、(徳丸さんは言われませんでしたが)実は
深い、深い意味があるように思います。というのは、植林をする10年
もの長い間、その地域にかかわり、そして実がなるのを見届ける
までは、きっと植林後も続けてその地域にかかわることになるだろう
ということです。
つまり、ここに見えてくるのは、単に栃の木という換金作物栽培
による将来的な産業・経済基盤の確立への試みということだけ
でなく、長期的で持続的な人の交流による地域活性化への
明白な「意図」であり、「仕掛け」なのです。こうした仕掛けのもと、
持続的で長期的な交流を確かなものとし、地域活性化への
展望を切り開く、これこそが実はこの植林プロジェクトの核なのだ
と思います。したがって、地元の人だけではなく、NPOや大学
など外部の組織や個人が植林に加わってこそ、このプロジェクトは、
地域の活性化に大きな意味と力を持ちうるのです。
「木は誰のために植えるのか」、その問いについての答えは
ともあれ、「なぜ地元と地元以外の人が協力連携して木を
植えるのか」ということについては、以上のような明快な答えが
出てくるように思います。
* * *
さて、最後のパネルディスカッションは、景井先生、徳丸さん、
高橋さん、そして、山の持ち主で宇津の区長でもあるSさんの
4人がパネラーとなり、下宇津のお宝とは何か、宇津城と
植林を軸にしての地域活性化の課題と展望などについて
意見が交わされました。また、Sさんからは栃の木のみならず、
山百合の復活についても見通しが語られました。また、その他、
地元の林家の方や、他地域で植林活動をされている方からも
植林をめぐる現状と課題についての発言があり、有益な示唆が
得られました。
* * *
今回のフォーラムで嬉しく思ったのは、何よりも多数の方の参加が
あったことです。とりわけ、地元の方々の参加があったことは嬉しい
ことでした。そして、今年もまた、遠方にもかかわらず、向日神社の
鎮守の森を守る会の方々が参加してくださったことも嬉しいことです。
こうした積み重ねのなかでの多くの方々とのつながりを大事にして、
今後さらに活動を展開していきたいと改めて思いました。
* * *
フォーラム終了後、フロンティア協会の面々は、嵐山花灯路の方に
出向かれました。なんともパワフルな方々です。花灯路は、今週末
21日まで開催です。午後5時から8時半までの点灯です。
京都・花灯路HP http://www.hanatouro.jp/index_a.html
Posted by 京北プロジェクト幹事T at 23:00│Comments(0)
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